2023年10月1日日曜日

光明池朝鮮人労働者慰霊碑(解説看板)

光明池朝鮮人労働者慰霊碑

 

 光明池は、1931年から5年間かけて、干ばつに悩まされる旧泉北郡地域の灌漑用溜池としてつくられました。池の面積は36万㎡、外周は約8km、主堤防の高さは26m、長さは350mにおよんでいます。光明の滝(国分町)付近の槙尾川から水を取り入れ、その貯水量は約370万㎥、大阪府内でも最大を誇ります。

 築造工事は、府営事業として行われ、大林組が請け負い、地元泉北の中野組、北喜組、東與組が工事を担当しました。工事には、当時日本の植民地であった朝鮮半島から仕事を求めてきた300人近い朝鮮人が従事していました。ツルハシで山を削り、削った土砂をトロッコで堤防へ運ぶという危険な作業の中で、10数人もの犠牲者が出たと伝えられています。

 この石碑は、工事完成後、工事で亡くなった朝鮮人労働者を慰めるために建立されたものです。石碑の右側面には「大林組武藤寅也」と刻まれており、石碑の左側にたつ灯籠には、北喜組の関係者の名前が見えます。年月を経る中で、石碑の存在は忘れられ、バラバラに倒れていましたが、1983年に再建され、2005年には、「光明池土地改良区」の手によって建物が修復されました。1995年から、市民の手で石碑の由来や朝鮮人労働者の実態をめぐる調査が進められています。

 

2006年10月 和泉市人権啓発推進協議会多文化共生部会

 

 

 

現地解説看板。

韓国朝鮮語(ハングル)併記

 

光明池朝鮮人労働者慰霊碑(解説看板)

光明池朝鮮人労働者慰霊碑    光明池は、1931年から5年間かけて、干ばつに悩まされる旧泉北郡地域の灌漑用溜池としてつくられました。池の面積は36万㎡、外周は約8km、主堤防の高さは26m、長さは350mにおよんでいます。光明の滝(国分町)付近の槙尾川から水を取り入れ、...